名鉄広美線の日本ライン今渡駅を降りて木曽川の新太田橋を渡るコースとなっていました。
木曽川は大きな川です。
少し上流には今渡ダムがありました。
木曽川を渡ると美濃加茂市となります。
マンホールがあったので早速撮影しました。
太田橋です。
こちらの橋が先にできたと思われます。
太田橋の袂の岩盤です。
川の流れでも浸食されなかった岩が露出していました。
川原にはいろいろな花が咲いていました。
川原の土壌は肥沃なので、雑草もしっかり茂っています。
木曽川の流れがゆっくりした地点にできた中州です。
川に目をやると川の中ほどに小さな島ができています。
この島を中州(なかす)と呼んでんでいます。
丸い大きな石が堆積しています。
こちら側の岸からは、泳いで渡れる距離となっていますが、遊泳禁止となっています。
生育していた状態のままで地層中に埋もれて散在している樹木の化石を「化石林」といいます。
川の中では子供だけであそばない、となっています。
木曽川を舟で渡るのですが、流れが早いので大変だったと思います。
木曽川を渡るのは、この太田宿の場所です。
木曽川は流れが早いので、昔の人は大変だったと思います。
往時には、東西25間の間口をもち、土蔵10棟、馬屋3棟、離れ座敷などをもつ壮大なかまえだったそうです。
9.28豪雨災害(昭和58年9月28日)では、この林家も水が来て、2階に非難したとガイドの方が説明をしてくれました。
辰巳屋の表札です。
坪内逍遥が生まれた生家です。
明治維新の時に母親の実家の名古屋に出たそうです。
小説神髄は読んだことがないですが、お名前はよく知っています。
私は、生まれは豊川なので、東海道は知っていましたが、中山道はよく知りませんでした。
越すに越せぬ大井川は知っていましたが、木曽川の太田宿の渡しは初めて知りました。